AIに「最適化」され続ける私たちの日常
現代のネット社会は、あまりに便利です。検索履歴や閲覧データから、AIが私たちの好みを完璧に予測し、興味のあるニュースや動画を次々と提供してくれます。
一見すると、私たちの時間は最適化され、無駄なものを見なくて済むようになったように感じます。
しかし、ふとした瞬間に違和感を覚えることはないでしょうか。
「今の自分の興味以外の世界が、驚くほど見えていないのではないか」と。
フィルターバブルが招く「知の偏り」
ネットに浸かれば浸かるほど、私たちは自分の興味の範囲内に閉じ込められていきます。遊びや消費に関する情報は無限に届きますが、その一方で政治や経済といった、自分にとって「直接的な興味が薄いもの」へのアクセスは意図しない限り遮断されてしまいます。
AIによる情報の最適化は、気づかぬうちに私たちの思考を偏らせ、自分とは異なる視点や、社会の大きなうねりに対する感度を鈍らせていると言っても過言ではありません。
新聞が教えてくれた「必然の偶然」
かつて、新聞を広げていた時代には、自分の興味がないニュースにも物理的に目を止める機会がありました。関心のない政治の議論や、遠い国の経済事情が、意図せずとも視界に入ってきたのです。
その「強制的に知らされるノイズ」こそが、実は私たちの知識の幅を広げ、多角的な視点を養うための「肥やし」になっていました。今の私たちには、この「意図しない情報との出合い」が決定的に不足しています。
デジタルとアナログの二刀流
政治・経済という「自分にとって少し重たいテーマ」を、どうやって日常に取り入れるか。これには「デジタルの活用」と「アナログの再評価」の両輪が必要だと思います。
デジタル:「逆転のプロンプト」でAIを揺さぶる
AIをただの「自分の趣味の追従者」にしないことです。私は、政治や経済について、「今、自分と反対の立場からはどう議論されているか?」「全く知らない業界の経済トレンドを5分で教えて」といったプロンプトを投げ、あえてAIに「自分が見たくないもの」を提示させるという使い方を実践しています。
アナログ:「偶然の出合い」を物理的に作る
私はあえて特定のサイトを見ず、紙の新聞や週刊誌、専門誌の棚を眺める時間を設けるようにしました。デジタルでは決して辿り着けない、自分の興味の「外側」にある記事に触れることで、教養としての政治・経済的感覚を呼び戻します。
一日5分、10分程度のことですが、私はこの二つを実行することで、新しい発見がでてくるようになり、そこからAIでさらに深堀していくという好循環ができました。
バランスこそが「強さ」になる
AIが進化し、効率が追求される時代だからこそ、私は効率の悪い「知的な寄り道」をする人が、最後には強いバランス感覚を持つようになると感じています。 政治や経済を知ることは、決して堅苦しいことではなく、今の自分の仕事(ON)の視座を上げ、私生活(OFF)の面白さを深めるための最高のスパイスです。
今週は、あえて「検索しないもの」に触れる時間を、意識的に作ってみませんか。


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